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〔小説〕八大龍王伝説 【478 猛牛狩り(一) 〜碧牛将軍の焦り〜】

 八大龍王伝説

【478 猛牛狩り(一) 〜碧牛将軍の焦り〜】

〔本編〕

 龍王暦一〇六一年。ソルトルムンク聖皇国の暦である聖皇暦では五年にあたる年の二月二日の午後二時過ぎ。

 碧牛将軍ことボンドロートン率いる聖皇軍は、現在はミケルクスド國に奪われている聖皇国の元王城マルシャース・グールの南門から、距離にして約一キロメートルの地点に到着した。

 同年一月二八日にマルシャース・グールより南下すること五百キロメートルの地のミロイムス地方から、十万の軍勢で進軍を開始した聖皇国軍は、各地方からはせ参じる兵たちを吸収させ、この二月二日に、先発隊の長であるボンドロートンが、マルシャース・グールの目と鼻の先まで迫ったときには、三十万を超える勢力に膨れ上がっていた。

 この数は大方の予想をはるかに上回る数であり、ボンドロートンが率いている先鋒隊の兵の数ですら三万を数えていた。

 それに対して、現在マルシャース・グールに籠るミケルクスド國の王妹ユングフラの率いるミケルクスド別働隊であるヒールテン地方軍を含む軍勢は、五千を下回っているとの情報であった。

 あるいは、既にマルシャース・グール内には兵は千人ぐらいなのかもしれない。その可能性も、この状況下ではありえるほどであった。

 圧倒的な状況の中にあって、聖皇国の碧牛将軍は一種の焦りを禁じ得なかった。

 先鋒を命じられた碧牛将軍ボンドロートンからすれば、むろん元々の聖皇国の王城であるマルシャース・グールの奪還は火を見るより明らかである。

 しかし、それだけではボンドロートンからすれば何ら汚名を注ぐことにはならないのである。

 一万三千の兵力で、聖皇国の重要罪人であるンド、クレフティヒ、グラフの三人を護衛しながら、それをミケルクスドのユングフラ率いるミケルクスド國別働隊が中心となったヒールテン地方軍にまんまと奪われてしまったのである。

 それも三人とも生存した形で奪われ、その上、自軍の碧牛軍にも多大な被害を出し、多くの家臣を犠牲にして、ボンドロートン将軍一人生き残るという非常に不名誉な形でからくも戦線を離脱したのである。

 その後のジュルリフォン聖皇一行のマルシャース・グールからの都落ちなどを考えると、その罪業ははなはだ大きいと言わざるを得ない。

 碧牛将軍からの降格も現実味があり、下手をすると死罪にすら成り兼ねない状況で、今回のマルシャース・グール奪還戦の先鋒の将を任じられたのである。

 おそらくは、ジュルリフォン聖皇にしても、今は聖皇の片腕的存在であるミロイムス地方の地方領主ダードムスにしても、非常事態故、適当な人選をする余裕が無かったためだと思われる。

 まあある意味、先鋒隊という一番初めに戦端を開く部隊の隊長ということであれば、剛力無双なボンドロートンは適役であるのかもしれないので、ボンドロートンが単身でミロイムスに逃げて来た時には、ジュルリフォン聖皇としては、ボンドロートンを即座に断罪したかったであろうが、その気持ちを抑えて、今回の先鋒の将に任じたのであろう。

 あるいは、ダードムスの助言なりがあった可能性も否定できない。

 とりあえず先鋒の将に任じて、功績が認められないようであったら、その時初めて、グラフ達を奪われた罪を償わせても遅くないぐらいのことを、ダードムスは聖皇に言ったかもしれない。

 いずれにせよボンドロートンの太い首はとりあえず繋がったまま、場合によっては将軍に復帰できるかもしれない可能性を、己の力で手繰り寄せられる事情に恵まれたのである。

 そういう意味では、ボンドロートンはユングフラの襲撃の際に、辛くも逃げおおせられたことも含め、存外悪運の強い男なのかもしれない。

 ただ、この先鋒の将で、よほど大きな功を上げない限り、ボンドロートンの未来はない。

 既に宰相のザッドが聖皇と距離を置いた以上、ここで将軍に復帰できなければ、死罪と同等といえる人生しか送れないのである。

 ザッドの力があっての、碧牛将軍なのであるから、ザッドが聖皇から権力を再び取り戻さない限り、ボンドロートン程度の能力では、せいぜい大隊長クラスまでである。

 さらに敵味方から漏れなく憎まれる粗暴な性格は致命的であり、今では、ザッドから気に入られていたという一つの事実が、大きなデメリットとまでなっている。

 そのようなボンドロートンが、将軍の地位を保持し得るほどの大功は、今回、たった一つしかない。

 ミケルクスド國の王の妹であるユングフラを生きて捕えるか、自らの手で首をあげるしかないのである。

 どう転んでも負けることのない聖皇国に所属しているボンドロートンにとって、他の者の手によってユングフラ姫を倒されても、やはりなんの意味も成さない。

 ましてや、ユングフラ姫を取り逃がしたいう事態にでもなれば、先鋒隊の長として責任を大いに問われることとなる。

 それは、グラフ達三要人を奪回された責に上乗せされ、死罪以外には考えられない程重い罪となろう。

 こうした事情から、聖皇国軍の中でボンドロートンだけが、勝つことが約束されたマルシャース・グール奪還戦において、進退を賭したギリギリの状態だったのである。

 むろんこの状況下で焦るなという方がどだい無理であろう。

 そして、今マルシャース・グールから南方へ一キロメートルの地に到着して、ボンドロートンとしては、すぐにでもマルシャース・グールに攻め込みたい気持ちで一杯であった。

 しかし、それは今回の奪還戦の司令官であるミロイムス地方の地方領主であるダードムスから、しっかり釘を刺されて、攻め込むことがかなわないのである。

 ダードムスからすれば、絶対に奪い返せるマルシャース・グール戦において、完璧を期すためユングフラ姫を確実に確保したいところである。

 生きて捕えれば、あるいは今後のミケルクスドとの交渉において有利な材料になるし、殺したとしても、ミケルクスドの精神的支柱の一つであり、かつ優秀な将軍を一人除く結果となる。

 特にユングフラを生かして捕えた場合、既にマルシャース・グールから脱出しているグラフとの交換交渉も可能となってくる。

 ユングフラとグラフの交換交渉が成り立てば、グラフを戦略的、あるいは戦術的に活用するというミケルクスド國の思惑を大きく崩すことができるし、また、ラムシェル王がその交換交渉を拒んだ場合は、ミケルクスド國で絶対的な人気のユングフラを何故、救わないかという国民感情が噴出し、またそれと同時に殺されると分かっているグラフを引き渡すのかという反対意見も噴出することによって、ミケルクスド國の国民の意見が真っ二つに割れることとなる。

 結局、ラムシェル王の手腕を持ってしても、ユングフラとグラフの交換交渉は、実施しても拒否しても、いずれを選択してもミケルクスド國内で、国民同士の意見が対立するという事態に陥ってしまうのである。

 そのためダードムスは、先鋒のボンドロートンがマルシャース・グールに到着する以前から、マルシャース・グールの四方に、小規模な隊をいくつも出没させ、ヒールテン地方軍との小競り合いを終始繰り返させることによって、ユングフラが脱出する余裕を作らせず、併せて終始監視をしていたのである。

〔参考 用語集〕

(神名・人名等)

 グラフ(元ソルトルムンク聖王国の近衛大将軍)

 クレフティヒ(元ソルトルムンク聖王国の大臣)

 ザッド(ソルトルムンク聖皇国の宰相)

 ジュルリフォン聖皇(ソルトルムンク聖皇国の初代聖皇)

 ダードムス(ソルトルムンク聖皇国ミロイムス地方の地方領主)

 ボンドロートン(ソルトルムンク聖皇国の碧牛将軍)

 ユングフラ(ラムシェル王の妹。当代三佳人の一人。姫将軍の異名をもつ)

 ラムシェル王(ミケルクスド國の王。四賢帝の一人)

 ンド(元ソルトルムンク聖王国の老大臣。故人)

(国名)

 ヴェルト大陸(この物語の舞台となる大陸)

 ソルトルムンク聖皇国(龍王暦一〇五七年にソルトルムンク聖王国から改名した國)

 ミケルクスド國(西の小国。第五龍王徳叉迦(トクシャカ)の建国した國。飛竜の産地)

(地名)

 マルシャース・グール(元ソルトルムンク聖皇国の首都であり王城。今はミケルクスド國のユングフラによって占領されている)

 ミロイムス地方(ソルトルムンク聖皇国南西部の地)

(その他)

 大隊長(大隊は二百五十人規模の隊で、それを率いる隊長)

 ヒールテン地方軍(ユングフラ姫の率いるミケルクスド國別動隊。元ゴンク帝國領のヒールテン地方の駐留する軍ゆえに便宜上、そう呼ばれている)

 碧牛軍(ソルトルムンク聖皇国七聖軍の一つ。ボンドロートンが将軍)