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桑原邸の石榴の木

 山田稔さんの「「季節」を出していたころ」(『海鳴り29号』)を読んでいて、アレッと思ったことがあります。

 杉本秀太郎さんの「石榴塾瑣事」の題の由来について、≪おわりの方で、繕太郎〔杉本秀太郎〕が彫刻家の本山洛二(山本恪二)をともなって訪ねて行く桑原〔桑原武夫〕邸の玄関わきに、石榴の木が植えてあった。表題はそこから来ている。≫と書かれています。しかし、「日本小説を読む会 会報 百号記念号」と『文学の紋帖』(一九七七年三月一六日構想社)に収録の「石榴塾瑣事」を確かめますと、「おわりの方」にあるのは、

≪繕太郎は桑原さんのたのしそうなおしゃべりに時を忘れた。彫刻家が置時計を見た。十時半になっていた。辞去するとき、少し窮屈になった靴をはくのに手間取りながら、繕太郎はうつむいたあたまの中で、夜闇に石榴の実がいくつも熟している光景を見た。

「先生、石榴の花、それから実も、お好きですか」

「好きです。なんでや」

「別に、なんでもありません」≫

というくだりです。「玄関わき」に石榴の木があったとは書いてありません。困りましたね。桑原邸の玄関に石榴の木はあったのでしょうか。初めて訪れた夜、玄関でその木を見て、帰り際にそのことをあたまに浮かべたということなのでしょうか。「石榴塾瑣事」を書いたときの杉本さんにも、この文章を書いている山田さんにとっても桑原邸の石榴の木はすぐに思い浮かぶ光景だったのでしょうか。「瑣事」でありますが気になりました。