もう“ちゃんこリアン”はいらんわ!

「軍艦行進曲」

http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=sFYXxGXyxuk

ルーズベルトは大使抜擢前の友人シュテルンブルクに対しても

「日本が朝鮮をとる(支配す)べきだ.日本はロシアの南下に対しての備えにもなる.何よりも日本はそのように期待される立場を自ら勝ち取ったことが重要だ」

と述べているのです(一九○○年).ルーズベルトは朝鮮は非文明国であると確信していました.彼の自叙伝でも

「朝鮮は自治能力,あるいは自国を防衛する能力にまったく欠けている(utterly impotent)国である」

と言明しています.一九○四年になると,この考えを英国にもドイツにも伝えています.次のように付言もしています.

支那に対しても,日本はこの(非文明)国を啓蒙する役割を負うべきだ」」

『「(彼は日本を文明国と考えたから)日本に対して東アジアを啓蒙(civilizing)し,同時に警備する(policing)責任を負わせたのである.少なくとも黄海周辺地域については日本にそうした役割を期待した.日本がこの海域周辺に関心を持つのは,アメリカがカリブ海周辺に重大な関心を寄せるのと同じことなのである」(グラント・アイゼンハウアー「セオドア・ルーズウ゛ェルト-拡張する大統領権力」)』(渡辺惣樹「日米衝突の萌芽 1898-1918」草思社)

「実際のところ,中国をめぐる争いは,半世紀以上ものあいだ,日本とボルシェウ゛ィキ・ロシアという西洋の理想のあいだに存在していた」

「一九三一年,共産主義を吹き込まれた中国人の秩序無視の振る舞いから満州での権益を守ろうと日本が躍起になっていたとき,スティムソン氏は国務長官として,アメリカによる日本への制裁を求めた.が,フーウ゛ァー大統領は,制裁をおこなえば戦争となるだろうし,アメリカには中国で戦争を始める気もないと,これを拒否.そこで国務長官はマッコイ将軍の援助を受け,この計画を国際連盟に持ち込んだ.その結果,日本は極東地域でソウ゛ィエト連邦相手に孤軍奮戦せざるを得なくなった」(1981年12月8日付アメリカ連邦議会記録E5664頁-パーシー・L・グリーウ゛ス議員)

「南京や東京から国務省へ送られた外交文書から,1937年夏,中国の多くの官憲が戦争を熱望していた事が明白である」(「Backdoor to War」チャールズ・キャラン・タンシル教授「戦争への裏扉」)

日中韓サミット、今年前半の開催先送り 見通し立たず

(朝日新聞デジタル - 03月15日 21:10)